2014年6月アーカイブ

はじめまして。ママチャリストコジマと申します。
嵐さんとジャカルタでお会いした事が縁で、ブログに参加させて頂く事になりました。この度はよろしくお願いします。

まずは自己紹介をさせて頂きます。
私は、神奈川県川崎市出身の25歳大学5年生です。年齢と学年の関係が滅茶苦茶なのは理由がございまして、大学には二浪して入り、昨年は休学しておりました。この二年間の浪人生活というのもまた旅のような都市型サバイバル生活であり、もし時間があれば今後ゆっくりお話ししたいと思います。

私が生まれ育った川崎という町は、多摩川の河口エリアに位置しており、坂も無く非常に平坦な所です。その為、自転車が、特にママチャリが市民の足として活用されており、私も小学生の頃からまるで自分の足のようにママチャリを使っていました。

漠然とですがこの頃から「ママチャリで日本を、そして世界を旅したい。」と思うようになり、地図帳を眺めてはニヤニヤする、誠に気持ち悪い小学生でした。

この野望が実現したのは、あれから10年後の大学二年生の夏でした。
この夏、私は、ママチャリで東京から韓国のソウルを目指しました。
理由は極めて単純でした。「誰もやった事が無い事がやりたいから。」です。
ママチャリで東京から大阪、京都、福岡など国内を旅する人は日本中に沢山いる。でも、そのまま船にママチャリを積んで海を渡り、韓国を走った人はいないのではないか、と考えました。本当に単純ですよね。でも、私は本気でした。
この挑戦を敢行する半年前から計画を練り始め、学業の合間を縫ってアルバイトをして活動資金を確保しました。そして、ママチャリに跨がり、東京を発ってから1ヶ月後、ゴールである韓国の首都ソウルに辿り着く事が出来ました。
ゴールした直後、地元の韓国人の方々から焼肉をご馳走してもらいました。あまりの美味しさに涙を流しながら食べ、塩カルビが更に塩っぱくなったのを今でも覚えています。

この無謀な挑戦が、私の人生を良くも悪くも変えてくれたと思います。
毎日遅い遅い自転車を漕ぎ続けて目的地に到達する達成感を得て、そして訪れた土地では、決して観光地のような用意された場所ではない、その土地のありのままの姿を見て、その土地に住む人々と交流をする。ママチャリによる旅の素晴らしさの虜になりました。

その一年後には、バンコクからシンガポールまで、マレー半島2000キロを現地で買ったママチャリもどきで縦断しました。タイ国内を走行中は毎日のように野犬に追われていたので、結構精神的に参りました。こちらもカゴの中に入れたランブータンの種を投げて応戦するのですが、上手く行った試しがありません。同じ年には、フィリピン・バターン死の行進の道筋を、自分で勝手に再現して一人で歩き切りました。

そして、昨年、インドネシアのジャワ島を、現地で買ったボロ自転車で縦断しました。実は、この旅のゴールであるジャカルタで私の事を出迎えて下さったのが嵐さんそしてタコラさんなんです。あの時ご馳走して頂いた美味しい日本食の味は決して忘れる事が無いでしょう。

これからも、バックパッカー?チャリダー?いや、ママチャリストだよ、と胸を張って言えるような、生活臭がプンプンする旅を続けて行きたいと思っています。
また、こちらのブログでは、そのような生活臭のするママチャリ旅行を中心に更新していけたらと考えております。よろしくお願いします。






DSCN2751.JPGのサムネール画像6月19日に誕生日を迎えた。

昨年から「誕生日には想い出になるような場所に仲間と行こう」と決めた.
そんで昨年は奥多摩の方に1泊キャンプに行って凄く楽しんだ。

今年は熱海にいくことになった。実は東京出身の俺はこんな近い熱海に一度も行ったことがない。かつて新婚・社員旅行とメッカであった熱海だが20年ぐらい前から衰退がひどいらしく、最近少し復活したと聞いたのでチェックをかねて遊びに行くのもいいかもしれないと思ったのだ。

メンバーは、昨年の運転手をしてくれ、今年もそれをやってくれるブラックロード若頭補佐の和田虫象。

その他3人はヒクさん、カルロス、お笑い評論家の「ラリー遠田」さんである。

平日の泊まりがけの旅行なので参加者はわずか5名。まあ、最低ムシゾウと2人でいくつもりであったので気にしない。

天気は雨との予報だったが、晴れ男の俺はまたもや天候に恵まれる。
15時にホテルの到着した。このホテル、4週間前に予約して値段が二食付きで5400円。

虫象がいつも通り決めてくれたのだが奴は安さを追求するあまりロクな場所を選ばないのだが、今回は大当たり。

大浴場が3つあり、清潔だし、マッサージチェアもたくさん揃っていて、全部使い放題。

部屋は5人部屋オーシャンビューで駿河湾を眺めることができるし部屋が綺麗で大きい。

食事だが、鍋セット&バイキングでアルコールも1時間半飲み放題。この時には仕事を終えたカルロスが新幹線の乗って遅れて到着。そこから飲み会が始まった。

朝食もバイキングで、このコストパフォーマンスは最高であった。

写真は「お宮の松」です。





海外ブラックロードファンの皆様、始めましてで、こんにちは。
ハニートラップ研究所 所長のチャーリー向井でございます。

狂乱のバブルと未曾有の円高を利用し、世界中でやんちゃをしていたあの頃。自分ではそこそこに旅慣れてきたと勘違いし、それなりの覚悟で飛び込んだバンコクはヤワラー(チャイナタウン)のジュライホテル。そこには数々の「旅の猛者」が入れ替わり立ち代り出入りしておりました。

当時の私は、こんな大人達にはなってはいけないと心に誓いを立てながらも、30代?40代のいわゆる「沈没」の大先輩方から色々なことを学びました。それらはその後の旅で大変に役立つものばかりでもあり、また無限地獄の扉のようなものでもありました。

そんな私も、その彼らの年になり、当時をふり返るにちょうど良い時期なのかとも考えております。

"冷気茶屋"などという異空間へ導かれ、それなりの授業料をたかられながらも、大人?への階段を一歩ずつ踏みしめて、自我が崩壊していくのを感じておりましたあの頃。

金はないが時間だけは豊富な沈没の旅人が海外の日本人宿に集いますと、それはそれは多種多様なお話が聞けるものです。それぞれに得意な旅の国や地域を持っているものですし、なにしろ旅が生活なわけですから、恐るべし情報網と卓越したケチ根性から思いが及ばないような必殺裏技業を生み出す者まで現れます。


「必要は発明の母」などと申しますが、旅路に於いて、ケチ+金ない+男の性(さが)が生み出すものに、バックパッカーの与太話というものがございます。これは千三つとも言われ、1000に3つ程しか本当のことがない、という例えでございます。

しかし、そんなバックパッカーの与太話の中にもキラリと光る真理を突いたモノもございます。「火のない所に煙は立たない」とも申しますし、一つのストーリーの中に部分的にせよ真実やモノの道理や人間の業(ごう)が言いえて妙な表現で組み込まれていたりするのです。

バンコクで一通り、大人の階段を登った経験のある諸兄であればご存知の通りで、男の欲望には終わりというものがございません。「もう飽きたよ」と言いながら、17時ぐらいになるとソワソワとするあの感覚は何者なのでしょうか?

それにしてもバンコクという魔都は、何故にあんなにも旅人に寛容なのでしょうか?いえ、旅人だけではなく、あの地にある男を"素の雄"にする魔力があるのです。

そのような魔都バンコクの日本人宿で散々くり返しくり返し話されてきた、バックパッカーの与太話。その中には何十年もの時の経過にも耐えて、現代でも語り継がれているものも多くあるのでございます。

ある日、日本人宿でいつものメンバーが夕方から一部屋に集まり始め、誰となく与太話が始まりました。今日の与太お題は、「いったいこの地球は誰が回しているのか?」です。

大抵は以下のようなお話になるでしょう。
・フリーメイソン説
・300人委員会説
・華僑説
・ユダヤマネー説
・KKK説
・米国のCIA説
・イスラエルのモサド説
・英国のSIS説

等々。格闘技でいったい何が一番強いのか?いえいえ、何がじゃなくて誰がでしょう?的な展開と同様のノリでございます。これらの説をそれぞれが得意げに披露し一巡して、「ここだけの話だけどね、実は・・・」という段階からがバックパッカーの与太話が本領を発揮するのでございます。(笑)

話は脱線に脱線を重ね、笑い転げて脱肛しそうになるほど盛り上がるのです!無理に面白がってでもいないと、この先の不安に押しつぶされそうになる自分を忘れる為に。

そんな与太話の中でも私がとても魅かれたのが、

「なんだかんだ言っても、この地球はハニートラップで回ってるんだぜっ!所詮、カーターもゴルバチョフも、キリストもモハメッドも、ガンジーもマンデラもサイババも、女の股から生まれたんだよ。」

という与太話だった。何の根拠もなさそうで、それでいて真理ではないのか?という疑念が、それ以来、私の脳裏から離れないのでございます。何度も何度も疑心暗鬼になり自分自身を鼻で笑ってみても、25年来、脳ミソのヒダと心の奥底に沁みついて離れないのです。

そしてそれは、その後の放浪旅でも、一時期更生して勤め人という仮の姿で息を潜めて潜伏していた期間も、さらに現状に於いても、ことごとく立証するに価する事例ばかりが出てくるのございます。

次回は、ハニートラップとは何ぞや?を中心に狭義と広義の意味での定義付けについてお話させていただこうと思います。

もう昨年のことになるが、来タイした嵐さんと虫象さんとバンコク・ゴーゴークルージングを開催した。

アソーク交差点近くの「ノースイーストファミリー」でシーメー。ノースイースト=東北部=イサーン。ここはイサーン料理を手軽に味わえるので、日本からの友人、知人をお連れすることが多い。

うま辛イサーン料理で腹ごしらえした後、ソイ・カウボーイに向かった。プールバーを経由して「バカラ」の2階に着陣。2階では、パッツン制服風の嬢らがパイオツをぷるるんと振るわせて踊っている。3人そろってねっとりと視姦。

ちなみに、先日はバカラでボヤ騒ぎが発生。一時的に2階が閉鎖されたが、今は問題なく営業している。

オレたちのナナプラザに転戦。1階の「レインボー2」に突入した。当時は虹2のキャピ軍団と呼ばれる派閥が全盛期であった。

しばらくすると、キャピ軍団の主力6番がいつものように絡んできた。彼女はその立ち振る舞いから「重鎮」と命名されている。嵐さんは冷静に見守っていたが、重鎮にセクハラを繰り出し始める虫象氏。当然のごとく「チップー!!」となる。

虫象さんは参ったなといった感じでポケットをごそごそ。次の瞬間、重鎮に2バーツ(約6円)コインを差し出した!

重鎮はもちろん受け取りを拒否。その態度について、「2バーツでもお金はお金ですから。彼女はバチが当たりますよ」と虫象氏。さすがである。

ゴーゴー嬢にお金を毟り取られている甘イープン(日本人)らは、虫象さんの断固たる姿勢を見習うべし!
天気も悪いし、予約状況も悪く、俺の体調も最悪だったが客も大勢入り、性交、いや成功しました。

来てくれた人に感謝です。途中、スライドが映らないハプニングもあった。こんなことは「のまど史上初めて」だったようで、まあ、ある意味光栄だ。

俺の方はといえば、トークショー的なものは苦手なわけで、開始40分で疲れてやる気ないモードになったのだが、丸ゴンと、特別ゲストのオガミノの大活躍でどうにか切り抜けた。

ほんと、俺みたいな者の為にいろんな人が集まってくれて嬉しかった1日でした。

ファンの方に「一緒に写真撮ってください」と言われたり、サイン色紙にサインを頼まれたが、ここのアップする写真が1枚もないのに今気がついたが、まあ、御愛嬌で。

そうそう、もうワールドカップが始まりますな。日本代表が予選突破してくれることは祈っているし、今回はゆっくり観戦したいものだ。
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西武ドームで、ベイスターズと西武の試合を観戦してきた。

久しぶりの野球観戦は一緒につきあってくれる人が皆無だったので1人で行ってきた。

楽しかったな。

見事に5対2で勝利!!  ブランコの先制タイムリーの後、筒香のツーランホームラン。興奮したよ。



私は薬物が大嫌いである。

 

16歳の時に好きだった子の兄が

シンナー吸引をして

飛び降りをした。


そのショックで大好きだった子まで

おかしくなった。

 

こんな出来事があったので私は薬物が大嫌いである。


しかし、私は薬物ではとても苦労をした。

 

なにしろ私がチンピラをしている頃


回りは

中毒者ばかりであった。

 

助手席に中毒者の乗せた時に

軽トラックを追い越した際には


「てめー、今の警察だったじゃねーか。俺をパクらす気だろ」


と言われたこともあった。

 

はいはい、また被害妄想か。。。


とうんざりしていたら


カッターナイフを顔に突き付けられ

びっくりして

あわてて弁解したこともあった。

 

しかし一番の苦労は

和美(仮名)とのことであったことであった。

 

和美との出会いは北部地方のスナックであった。

 

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

という具合の超がつくほどの美人であった。

 

すこしばかり不幸な顔をしているところも私のツボであった。

 

出会ってしばらくして

私達は那覇市内で生活をすることになったのだが


その時にはじめて和美が覚せい剤中毒ということに気が付いた。

 

まわりにはたくさんいたし


愛があればやめてくれるであろうと

 

私は、お花畑のようなことを夢想していたが

 

まわりにいるのと

一緒に生活をするのではまったくわけが違うし

そもそも共依存という状態に陥ってしまう。

 

和美は那覇にきてからは覚せい剤を使用する頻度がとてもひどくなった。

 

お金がなくなるとツケで暴力団関係者から購入をするようになっていた。

 

暴力団関係者は商売なので

和美にどんどん覚せい剤をツケでまわし

付き合っていた私には

容赦なく追い込みをかけた。

 

 

そんなことに私はうんざりした日々を送っていた。

 

こんなある日

私が朝方の五時に仕事を帰ってくると

和美は

 

左腕の血管に注射器を差し込むところであった。

もう何回もこのような光景をみていた私は

 

「仕事でつかれているから寝るから」とただそれだけを言い深い眠りについた。

遠くで


「私は、部屋の掃除をしておく」という和美の声が聞こえた。

 

目が覚めると午後の四時になっていた。

11時間も寝ていたのかと思ったのもつかの間

 

鬼のような形相で

床を磨いていた和美の姿に私は戦慄を覚えた。

 

おそるおそる

「ずっと、掃除をしていたの?


と聞いた

「うん。」と上の空で答えて

なおも床を磨き続けている。

 

ここらあたりが潮時か。

と私は思い。

 

和美が覚せい剤を隠している場所から覚せい剤をとりだし

トイレにすべてを流した。

 

それを見た和美は

形相をかえて

「なにしているの」と私に言った。

 

「シャブはもう終わりだ。」と私は言った。

机越しに和美と向き合っていたのだが

 

顔面にむかってコップを投げられた。

あてるつもりはないだろうと高をくくっていたのだが

 

私の左目のすこし上に思いっきりヒットしてコップは割れた。

血が噴き出すのがすぐに分かった。

 

コップを投げたあと

和美は台所からアイスピックをとりだし

私に向かってきた。

 

狭い室内でもみ合いになったが和美の力は

華奢な体からは想像もできないぐらい強い。

 

3分ぐらいもみ合っただろうか。

私は左の首を

2.5センチぐらいアイスピックでハスられた。

 

そこからも血がふきだした。

 

私は

「俺が、悪かった。財布に金が入っている、流した分はすぐに買ってくる。もうやめてくれ」と言った。

 

そこで和美の攻撃は終わったのだが

今度は

「さっきの行動で、あなたのことが信用できなくなった。


とばかなことを言い出した。

 

 

結構な量の血がでたので、目の前が放送の終わったテレビのチャンネルのようにじらじらとしてきた。

 

「だったら、和美が買いに行けよ」と言った。

よっぽど信用ができないのか

 

ベッドの端におもちゃの手錠で私を

拘束して和美は出て行った。

 

その後私は

 

ポケットから携帯電話を取り出し

友人をよんで病院にいき治療をした。

 

その後紆余曲折があったのだか

和美とわかれることが私はできた。

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本日発売の光文社からでている『FLASH』に俺のブラジルにかんする記事が5ページも掲載されました。

サンパウロの夜遊びに潜入した話とリオのファベイラ潜入記、そんで、コラムで危険回避法などが書いてます。興味ある人は購入よろしく。

それにしてもブラジルワールドカップは心配だな。

大会期間中に大規模なデモ、警察のスト、犯罪被害続出と、ブラジルの悪い膿とツケが一気に出ちゃうかもしれないね。行く人は情報をつねに入れて、警戒を怠らないようにしてもらいたい。

ブラジルはここ最近、中間層が激減し、上流階級と下層階級が増えてきた。つまり貧富の差がどんどん広がり、「持たざる者」が「持つ者」に対して強盗・窃盗・殺人を以前に増して攻撃をしてきている。もちろん外国人や旅行者は犯罪者から見れば「持つ者」なので、彼らの格好のターゲットになるであろう。


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電子書籍、『マダガスカル48』が発売されました。

これはスピンオフで、編集部が俺の資料と情報を元にして書いて、編集し、俺が再確認したというか、まあ、共同の著作です。

中身はめちゃくちゃで意味がわからないと思います。おそらくレビューや感想は

『200円、返せ! 無駄な買い物でした』
『なにをやりたいのか意味不明』

『これを作った人は頭がいかれている』


こんなだと思います。

だが、このような旅行記はかつてなかったので、こんなものもあるんだなと笑ってくれればいいし、

200円と安いので気軽に購入してください。

なお、旅系電子書籍をやりたいという人は連絡お願いします。

いよいよ、西荻窪でやる新刊『ブラジル裏の歩き方』発売記念トークショーは、10日後になりました。

興味ある人はきてください。